幸せになるには他者貢献すること。人の役に立っているという感覚があればいい「嫌われる勇気」読書メモ

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アドラーの自己啓発本「嫌われる勇気」より幸福についての記述が気になったので簡単にまとめます

「幸福とは、貢献感である」。

って「嫌われる勇気」には太字で書かれいるんですが・・

貢献ってこれ、

ちーちく
いやーおれ貢献してるわ、別に感謝とかされてないけど貢献してる、すっごい貢献してる

これで良いのか?、これで幸福になれるのかな?

って思うのですが、どうなのか

貢献感とは人の役に立っているという主観でよい

あなたの貢献が役立っているかどうかを判断するのは、あなたではありません。それは他者の課題であって、あなたが介入できる問題ではない。本当に貢献できたかどうかなど、原理的にわかり得ない。つまり他者貢献していくときのわれわれは、たとえ目に見える貢献でなくとも、「私は誰かの役に立っている」という主観的な感覚を、すなわち「貢献感」を持てればそれでいいのです。

ちーちく
自分が誰かの役に立っているっていう感覚を持てれば誰でも幸せになれるってこと?

たしかに人の役に立てたときって良い気分になる、「ありがとう」とかお礼を直接言ってもらえれば

「あ、役に立てたんだな」ってわかるし、貢献感も感じれる

そうじゃなくても自分自身で「誰かの役に立っている」という主観さえもっていれば誰でも幸福になれるのです。

 

自分が学生の頃に貢献活動でゴミ拾いした時、地域の人から感謝の言葉とかもらわなくても、

ごみをゴミ袋がいっぱいになるまで拾ったら達成感っていうか、満足感を感じました。

だれでもこういう経験はあると思います。こういうことが主観的な貢献感だと思う

 

直接的な貢献じゃなくても「貢献してる」という気持ちさえあればそれで幸せ。

「幸せ」ってなんか漠然としてるけど要は

わたしは貢献してる→わたしには価値がある→わたしはここに居ていいんだ!

「ここに居ていい」つまり所属感が幸せにつながるのです。

 

承認欲求を求めると自由がなくなる

貢献感を得るための手段が「他者から承認されること」になってしまうと、結局は他者の望みどおりの人生を歩まざるをえません。承認欲求を通じて得られた貢献感には、自由がない。

ちーちく
他者貢献をするにしても、人の役に立ってみんなから認められたいって気持ちが優先されたら、それは幸せにはなれないのか

「社会の役に、人の役に立ってるオレすごいでしょ、ほめて!」ってなると、承認欲求を満たすための貢献になる

それで承認欲が満たされなければ、「くそぅ、なんでだれもほめてくれないんだよ」ってなる、幸福にはなれない

自分のなかで「よし、誰かの役に立ってるな」っていう気持ちがあれば、それで幸福は満たされる、他者の承認に縛られない、故に自由なのね

 

おそらくなんだけど、世の中のほとんどの人が承認欲求をもっていると思うんだ

しかも承認欲求をモチベーションにして活動してる人とか、特にネットで活動してる人はそんな感じする

もちろん自分を含めてね笑、SNSなんてまさに承認欲求の権化みたいなもんよな

 

でも承認欲求をガソリンにて活動しちゃうと常に承認欲を満たしていかなきゃいけない

誰かに承認されるってことはつまり相手依存であって、それって自分でコントロールできる範囲外なわけで

自由がないって、自分をコントロールする自由がないってことかもしれないですね

まとめ

幸福を感じることは他者貢献することである

が、承認欲求を満たす=幸福 になると自由がなくなる

承認欲を他人に依存するのではなく、自分を承認してあげることが幸福になる

 

そのほかにも生き方について役立つことが書いてあるので「嫌われる勇気」おすすめです!

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